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「AI時代のレポート不正と、考える力の話」

人間味のない文章が生まれる背景

いつものようにTIMEを読み進めていると

「学校教育にAIを導入して、課題の作成をサポート」という記事が載っていた、

(TIME ASIA / NOV3 P68)

AIを「答えをくれる機械」としてでなく、自分の意見を表現するための「ガイドレール」として使う動き。

これって、結構僕が好きなAIの使い方で、共感できた。

本はAIに要約してもらう?

例えば、読書でも、本を買わずに、タイトルと「要約して」って指示を投げるだけで、一定の質の情報を得ることはできる。でも、その要約って、どこか薄っぺらくなってしまうと思うから、多用は禁物と認識している。

僕は、情報を得る目的以外に、本を読んで、自分の身体を通じて考え、感じることを大切にしているから、情報収集とは別で、読書の機会を持つようにしている。(ネット記事やニュースは要約してもらうことも割とある)

そんな、AIに対する、ちょっと独特なスタンスがあるから、この記事に興味を持ったのだと思う。

身体を使って違和感を感じること、書き手が悩んだ跡、大切で何度も言いたい部分と、さらっと書く部分のグラデーション。

「痕跡」が見える文章が、人の体温を感じる文章だと思うし、それが人の心に響くんじゃないかな。

AIの作成物は、どんどんバレていく

AIに特別な指示を与えず文章を書かせると、それらが均一になりやすく、読んでいて違和感を感じるケースが多い。これがAIっぽい文章の正体。

また、文章だけでなくイラストも同じことが言える。

例えばインスタのアカウントで、明らかにAIに作らせたであろうロゴを載せてるケース。投稿内容はいいのに、台無しな感じになる。どこか冷たさや、血の通ってなさがあって、それで鳥肌が立ってしまうことがある。

AIの出力か?人間が作ったコンテンツか?

それを見極める目を持った人って、これからどんどん出てくると思う。

問題はAIそのものでなく、人間の活用方法

紹介したTIMEの記事では、AIをカンニングの道具としてではなく、「共創のパートナー」として使うための教育が進められているようだ。「AIで試験のカンニングってできるの?」ってギョッとしたが、どうやらレポート課題のことらしい。

そういえば、昔からwikiのコピペでレポート出す人っていたよな〜と感じたが、それの現代版かと。ChatGPTに聞いてみると、現代は以下のようなレポートのカンニング方法があるらしい。

① ChatGPTなどに丸投げして、そのまま提出

課題文をコピペし、出てきた文章をほぼそのまま提出する。

聞くだけでバレそうな気配がプンプンするが、とにかく、本人は考えていないのに、成果物だけが提出されることが問題。それは自分の経験や、考えた履歴が載っていなく、無味乾燥な文章になっているのではないかと思う。

AIが書いた文章を少し言い換えて提出

出力された表現だけ少し直したり、語尾だけ変えるもの。

これも、 実質的にはAIの代作である。ただ、最近のAIは文章の構造そのものを評価するらしくリスクは高い。ニュアンスを変えた程度ではごまさせなさそうだ。

他人のレポート+AIの合わせ技

ネットの文章を拾って、AIに「自然な文章に直して」と頼む手法。

これは盗用で、コピペであると言える。引用の範疇を超えてしまっている。

出典・根拠の偽装

AIがそれっぽい参考文献を“でっちあげる”。存在しない論文を使った風に見せるもの。

「それってハルシネーションじゃない?」という疑問が浮かぶ。

ざっと、上記の4つの手法があるようだ。

ChatGPT時代に「考えない文章」がすぐバレる理由

問題の共通点は、「思考の放棄」であると思う。

  • 自分で考えるのが面倒。
  • 長文を書くのが苦手。

そういう人って確実にいると思うから、気持ちはわかる。ちなみに僕はプログラミングがどうしても苦手だ。

苦労を肩代わりしてもらうのがAIの使い方でしょう?

それもごもっともな意見だ。

ただ、大切なのは「自分も」ちゃんと悩むこと。

拙くていいから、

  • 自分の感じたこと、
  • 考えたこと、
  • そもそもこれって正しいの?って原始的な疑問。

それをただ、AIに投げればいいのではないか。

AIは深掘りして問い返してくれたり、周辺情報をわかりやすくまとめてくれる。

そうやって、たった数往復、会話のラリーを続けたあと

今の会話でレポートの核は決められる?」

って問えば、スグに骨子ができるはず。

そういう「一緒に作る」ためにAIを使うのが建設的だと思うし、楽しいと思う。

使える言葉を増やしていく

AIを「正解出力マシーン」と捉えるか

「答えの出ない問いをあーだこーだ一緒に考える仲間」と捉えるか。

そのスタンスの違いで、得られる結果も変わってくる。

そして、僕個人としては、AI出力に頼っても、自分で書いても「ぶっちゃけどっちでもいい」と思ってる。

大切なのは、自分が扱える言葉、を自分で理解していること。

そして、使える言葉の「語彙」を広げていくこと。

使える言葉とは、自らが体現している単語だ。

「語る」と「示す」

例えば、「誠実」という語がある。

でも、「私は誠実です」と言っても、なんの意味も持たないのではないだろうか。

誠実さは、その人の行動によってでしか示すことはできない。

これが、「書ける単語」と「書けずに行動や態度で示すしかできない単語」

の例だと思っている。

勉強だけでは、「使える語彙」は増えない

だから、自分の中でどの単語が使えて、どれが使えないのかを把握しておくことは、

説得力のある文章を書くために非常に大切だと思う。

今はまだ地味なスキルだが、AIの時代が進むにつれ、重要度は増す。

だって、『AIが書けない文章を発信するスキル』だから。

だから、使える言葉を増やしていこう。

今の自分が使えない、身の丈に合っていない言葉でも、

自分がレベルアップすれば使えるようになっていく。

成功していない人は成功法則を語れないが、

その人が何かの分野で結果を出せば、それについて語れるというわけだ。

そうはいっても、いきなり成功を目指さなくてもいい。

毎日、少しだけ違う行動を取ってみる。

いつもと違う道を歩く

普段食べない食材をスーパーで買ってみる

今までお金を払ったことのないジャンルにお金を使ってみる

そんなふうに、自分の枠を少しづつ広げていくことで、

使える言葉は増えていく。

だから、僕は今日も、好奇心に沿って行動していく。

by照

カテゴリー: Uncategorized

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