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AIに置き換わる仕事、置き換わらない仕事

ホントに仕事は奪われるのか

ロボットが家事や生産ラインを代替という記事がTIMEに載っていた。

(TIME ASIA / NOV P62)

AIを搭載した人型のロボットが、家庭で調理を行うらしい。

ただ、記事よると現在調理を学習中で、調理をするのに人間の介護が必要。

「お料理ロボット」の実現までは、しばらく時間がかかりそうだ。

こういう、AIやロボット関連のニュースを読むたびに、

内心ヒヤヒヤしてしまう人も、きっと多いのだろう。

すぐに実現はしなくても、「退職する前には起こるのでは…」と恐れている。

僕は仕事柄、肉体労働者の人も、Web系の仕事の人とも会うことがあるが、

「どうせいつかAIに奪われるんだから、それまでの暇つぶしですよ」

なんて話題になることが結構多い。

いやいや。

ここから、僕らの人生が楽しくなるんだよ。

そう、思っている。

僕は、AIの進歩やロボットの進歩で、

「奪われない領域がある」と信じているし、

だからこそ、自分の将来にも全く悲観していない。

それどころか、AIの発達によって、

人が敵わない領域と、

AIが絶対に敵わない領域がはっきりして

(話がわかりやすくなったな)という印象を持っている。

問題は、人の扱い方

そもそもなぜ、人は労働をロボットで代替したがるのだろうか?

・ロボットの方がコストが安いから?

・管理が簡単だから?

気になったので、上記の仮説を立てた上で、ChatGPTに聞いてみた。

そうしたら、意外な答えが返ってきた。

結論から言うと、

人間がロボットに労働をさせたがる一番の理由は「楽をしたいから」ではなく、

「不安から逃げたいから」です。

不安?意外だったので詳しく。

①苦しさ・危険・単調さから逃れたい

人は昔からずっと、きつい、危ない、つまらない、ミスが許されない。

こういう仕事を、できればやりたくないと思ってきた。

だから、

重たい荷物 → クレーン

遠くの移動 → 車

単純作業 → 機械

と、少しずつ「身体の苦痛」を機械に渡してきたそう。

そしてロボット化は、その最終形

人間は「失敗する存在」だから

人は必ずミスをするし、サボったり、感情で判断する。たまに体調を崩す。

会社や社会の側から見ると、これは不安定な存在でありリスク。

一方ロボットは、感情がなく、疲れない。文句を言わず、同じ作業を正確に繰り返す。

つまり「管理しやすい存在」といえる。

人間はロボットに仕事をさせたいというより、「コントロールできない人間が怖い」のだそうだ。

本当は「人間の価値」を信じきれていない

これが一番根っこにある。

もし本気で、人間の判断は尊い、人間の感覚は大切と信じていたら、

全部をロボットに任せようとはしない。

でも現代は、「早く、正確に、安く」

そればかりが価値基準になり、人間そのものの価値が不安定になっている。

「他の何かのために価値を持たなくてはいけない」という呪縛。

自分の価値を、自分の外側に求めてしまうから、

「だったら機械の方が良くない?」という発想が生まれる。

これは技術の問題というよりも、人間が自分の価値を信じきれなくなっている問題。

かくいう自分も、優秀でなければ価値がないと思い込んできた方の人間で、

仕事で良い成績を取るために心理学の勉強をしていたし、

学生の頃に頑張っていた英語も、突き詰めれば優越感を得たいからやっていた部分が大きい。

だから、TOEIC865を取ったときに虚しさを感じたのだ。

外部に自分の存在意義を求めているうちは、

いくら努力しても残るのは、虚しさと疲労感だけだ。

でも現代の「成果主義」「役に立たなければ価値がない」という思想(功利主義)が、

無価値と見做される人間を大量に生み出してしまっている。

そしてそれは、数値で判断されがちなSNSの登場で、さらに加速している。

恐怖から逃げたいという気持ちと、

「無価値な人」を生み出してしまう社会構造。

この2つが大きな要因とのことだ。

なるほど。かなり根深い問題だ。

これはロボットの扱い方というよりも、

社会が「人間をどう扱うか」の話である。

思えば、早く、正確にという価値が良しとされる社会は

まさに日本の教育制度そのものな気がして、寒気を覚える。

日本の教育は、高品質の労働者を生み出す教育と揶揄されるの、もうなずける。

ただ、ここまで書いてきて、僕は確信していることがあって、

「AIには決して置き換えられない仕事」の話なんだけど…。

人間の本質は身体。

AIの発達で文章やイラスト、プログラミングなどの

知的とされている労働が置き換えられていたり、

配送ロボットが荷物を運び

調理、介護の業界にロボットが入り込む未来。

そんな中で、AIに置き換えられず、AIが人間に敵わないものって、なんだろう?

それは、仕組みそれ自体を疑う仕事。

つまり、「なぜ?と問う仕事」だ。

AIは意思をもたず、入力がなければ、出力もできないシステム。

・なんだか間違っている気がするという「違和感」

・社会の仕組みを俯瞰してみたときの「歪み」を見つける問いかけ

・自分はどう生きていきたいのかという根源的な問い

それらは、人間にしか持ち得ないものであり、

正確に言えば、

僕は人間の身体が持つ能力だと思う。

身体から発する声を、

自分が汲み取り言語化し、

適切にAIに投げる。

AIの返答で対話を深め、

新しい視点を得て

自分自身を知っていく。

この営み、つまり

「意思決定する仕事」こそが、AIには奪えないものだと思う。

労働、作業ではなく、問い続けること自体が仕事になる未来。

それが、これからの社会なんじゃないだろうか。

それはきっと、自分の人生を人任せにしないで、ちゃんと自分で引き受ける、ということ。

「考えるのが苦しい」

「迷ってしまって決めるのが怖い」

「責任の重さ」

そういうのから逃げずに、ちゃん向き合うこと。

その姿勢を捨てないことが、数字や成果なんて関係ない、

「いるだけで意味を持つ」人間へ戻っていくきっかけになる。

「他の誰かのために価値がある」から

「それ自体に価値を持つ」生き方へ、回帰することができる。

実務レベルで言えば、

イラストや文章も同じ。

使う側のスキルではなく、美意識や世界観が試される。

古代ローマ人は

奴隷に仕事をさせ、自らは選挙などの、意思決定を仕事にしていたそうだ。

AI時代の人間も、同じような構造になるのではないだろうか。

そんな時に大切なのが、

ちゃんと自分を持っていること。

「自分の価値観で生きているか」

それが問われる時代が来るのだと思う。

その時に、ちゃんと自分の本音に向き合えるように

身体と心を研ぎ澄ましていきたい。

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